2020年5月7日木曜日

べっこう飴事件

今日はロックダウン52日目、快晴のパリから、こんにちわ🌏
尺八シンガー、クレアシオン桂のブログを読んで下さり、ありがとうございます🤲

毎日想う事、内観をたっぷりする時間を与えられ、頭や心は違う意味で
何と忙しい事か、、‼️



コロナウイルスのパンデミックのロックダウンを機に、内観代わりにブログを書き
始めましたが、夏まで全公演もキャンセルになり、オンライン生徒数人以外は、全く
時間が出来たので、昔のアルバムや、パソコンのファイルなども整理中😅

ちょうど20年前の3月半ば、桜が満開の大好きな春に、突然の事故で最愛の旦那と死別
しました。
今の時期は、四十九日を終えたばかりで、事故以来、呆然と生きる力を失って、半分
暗闇の墓に足を半分突っ込んだように、生きていましたわたしでしたが、
気持ちを落ち着かせるために、

今ブログを書くように、エッセイを書き始めました📗📚🖋

半年くらい書きつづけたり、歌を作ったり、今みたいに何か生み出してばかりいた
時期でしたが、スッキリしたのか、その書き溜めたエッセイは、その後読み返す事も
なく、古いフロッピー(なつかしい🔏〜‼️)の中に、、

その中で、面白い表題のエッセイを見つけました🧐

少し長いエッセイになりますが、修正せずに、そのまま載せますので、
読んでみて下さい🍀

わたしが、生まれた時、仮死状態で生まれましたが、この人生で二度目に
死にかけた時の、5〜6歳だった時の話しが書いてあります。
生と死」
について、改めて考えさせられるエッセイです。



「べっこう飴事件」🍯


  ある日、ふと歯を磨いているときに、鏡の中の自分をずっと見つめていた。
瞬きもせずに数分見つめ続けていると、ふと自分の顔が原始人のような顔に変わって、
ぞっとしたのを覚えている。
小学校もまだ低学年のころだっただろうか。私は、なぜいつも自分のこの鏡の中に映る、小さな自分の肉体と共に動き、この肉体の口を通して喋り、毎日を生き続けなければならないのか?
これは一体どのくらい続くのだろうか?
永遠?なのだろうか?
それとも終わりの日がいずれ来るのだろうか?
そんな疑問が起こり始めたのは、小学校も上がる前には感じていたのを、
はっきりと覚えている。
そんなある日、一つの事件が起こった。

 私と、双子の姉は、いつものように両親の寝室のベットの上で、トランポリンのように跳ね上がって遊んでいた。
このトランポリン遊びは大のお気に入りの遊びで、いつもストレス発散のために、行われていた。
その日も、いつもと何も変わらない穏やかな時間が流れていた。
 私は、先日誰かからもらったと言う、平らな大きな「べっこう飴」を母にもらいにいった。なかなかな美味で、双子の姉の分もあるので、2つほどもらいに行った。
母からもらうと私は早速、自分の小さな口の中にはちょっと大きすぎるくらいのこのべっこう飴を口に放り込むと、姉の所へ持っていき、姉にも渡した。
姉も小さな口の中へそれを放り込んだ。

By Takako Hirano 


 しばらくは、二人キャッキャと騒ぎながら、トランポリン遊びをしていた。
私は笑い出すと止まらない、と言うか、笑いすぎて身体ごとひっくり返ってしまう、
というお行儀の悪い癖があった。
その時も、あまりの楽しさに、まるで雲の上で飛び跳ねている気分になっていた。
小さな口を精一杯大きく開けて笑っているまさにその時、突然のように、私はそのまだ大きな平べったいべっこう飴を呑み込んでしまった。
と言っても、まだべっこう飴は完全に飲み込めるほど小さくはなっておらず、しかも私の喉はまだまだ細かったので、ちょうど喉の奥に完全にはまってしまった。
私は急にだんだんと息が出来なくなってしまった事に気が付き、慌てて姉に
「無言の緊急メッセージ」を送り、そのままベットから降りて急いで隣りの部屋にいる
母の元へと飛んでいった。

 そして「喉に飴が・・・。」と苦しそうに事の次第を告げると、
母は急に真顔になって私の喉の奥を見ると、相当奥に入ってしまっているらしく、
私をうつ伏せにさせて背中を叩いたり、色々と試みたがうまくいかなかった。
その内に慌てた母もマンションの管理人の所へ上がっていき、助けを求めた。
この騒ぎに何事か、とマンションの隣の住民も心配そうに出てきた。
こんな時には水を飲ませたら、と言う恐ろしい助言も聞き入れてしまい、
私はガブガブと水を飲まされ、益々、奥のべっこう飴はしっかりと奥で固まってしまい、返って逆効果だった。
管理人は今救急車を呼んでいるから、と叫んでいたが、当人の私はもう息が出来ない猛烈な苦しみで、ああこれで私の命も終わるのかな?
と初めてぼんやりと思ったことを覚えている。



 そのうちに私は気が付くとマンションの踊り場に出ていて、母を含めた3,4人のあたふたとしている大人達の姿が次第にぼんやりとしてきて、気が付くともう「苦しさ」は無くなっていた。
 「ああ、なんだ、私はもう全然苦しくなくなったから、そんなにみんな慌てないで。」、と叫ぼうとしたが声が出ないのだ。
しかし、よく周りを観察してみると、今まででと少し感覚が違う事に気が付いた。
なぜなら、私は青ざめ、紫色に変色した顔をした私自身を、マンションの踊り場の少し上の方から、何となく空にフワフワと飛んでいるような形で、覗き込んでいたからだ。
しかも先には、目の前に見えた母の顔や大人達の姿も、今度はすべて後ろ姿の背中しか、見えなかったのだ。
「あれっ!」、と私は少し不思議に思った。
「べっこう飴を呑み込んで苦しかったんじゃなかったっけ?でもそれは、双子の姉の方だったのかな?」
と本気で一瞬思ったりもした。

 いつも同じ顔を目の前に見ることには、慣れているので、それほどこの変化にはびっくりしなかった。
そこにいるのは、双子の姉?
でも姉はしっかりと、青ざめた紫色の顔をした私の側にくっついて、心配そうに見守っているではないか?
 でも大人達みんなは、みんなを後ろから見守る私自身には誰も気が付かないらしく、
人形のような、小さな青ざめた「誰か」のために一生懸命だった。
「誰か」は「私自身」 だとは、決して思えなかった。
なぜなら、私自身は、この「私」であって、今みんなを見ている「この自分」しか有り得ないからだ。
 その時急に、私はいつも一緒に行動していた肉体から、「とうとう離れている」、とういう現実に気が付いた。
私が今まで何度となく、抱いていた疑問が今まさに分かろうとしていた。



 その時だ。急に、沢山のパンが、母の手によって私の小さな口に押し込まれて、私の口は「口裂け女」になってしまうかと思われるほどに感じ、急にまた咳き込むような、
息苦しさを感じて、私はまたもや、この小さな肉体の中に入り込んでいた。
また、前のように母の顔が目の前に現れ、3,4人の大人達の顔が目の前に押し寄せていた。
 「カコ!」 
と言う懐かしい双子の姉の声も聞こえた。
ああ、私はまたこの小さな小さな肉体と共に動いていかなければならないのか、
と少し残念にさえ思った。
先ほどは、何だか身軽になったようで、そのまま、空を飛んでいき、宇宙へまでも旅出来そうなくらいな自由な感覚で、とても気持ちよかったのに・・・。

 私の残念な気持ちとは裏腹に、母や大人達は、歓声を挙げて、息がまた出来るようになり子供らしい赤い顔に戻った私を見て、にこやかに笑っていた。
しかし、いつの間にか不思議にも元の肉体に戻ってしまった瞬間には、先の事がぼんやりとしてきて、とうとう忘れてしまった。
その後、20年以上も経って、ある事をきっかけに思い出すまで、私はすっかり記憶の部屋に、この記憶は閉じ込められていたままだった。



 後から聞いた母の話によると、管理人が救急車を呼んだ、と言ったが、救急車が来るまで私をほっといたならば、きっと窒息死してしまうだろう、と咄嗟に感じ、何とかせねば、と必死だったと言う。
しかしだんだんと顔色は青ざめ、紫色に変色し、土気色に変わってゆく私を見て、この子、本当に危ないかもしれない、と思ったそうだ。
もしかしたら本当にあの肉体を離れている瞬間と言うのは、一瞬ではあるが実際に息が止まり、私はこの世で言われる「死」の入り口に入りかけていたのかもしれない。

 とすると、「死」は決してすべてが暗黒の「無」になってしまう恐ろしい事ではないのではないか?
あれから20数年経って、ふとあの時の記憶を思い出した時には、あの瞬間は、限りない自由への入り口のように感じ、とても身軽だったのを思い出したのだ。
あんなに簡単で、まるで隣の家に遊びに行くような感覚で、とても自然なことが、
「死」ならば、「死」は決して終わりではなく、寧ろ「始まり」なのではないか?
どんな宗教を信じていようが、また無神論者であろうが、自然主義者であろうが、動物愛好家であろうが、人に共通していることとは、
「人の命は決して終わらない永久のものである」
と言う事ではないだろうか? 



そのことに気が付いてからは、私は前に漠然と「死」に対して疑問や不安を抱いていた時よりも、心が自由になり、生きることがいつもいつも楽しくなってきたようた。
心から生きている事が嬉しくなっているのだ。
たとえ苦しいことがやってきても、あの時に苦しんで青ざめている自分の肉体を、冷静に上方から客観的に見守る私自身のように、いつも冷静に受け止めるられるようになってきたようだ。

 もちろん、怒ったり、悲しんだり、嬉し泣きをしたり、腹を立てたり、と言う人間的な感情が無くなってしまった、という意味ではない。
寧ろ前よりも、そう言う感情の変化を敏感に自分自身が感じ取れるようになってきているのだ。
しかもその感情の変化さえも、常に冷静に、そして客観的に見守る自分が常に存在するので、決してその自分自身がその感情の虜になってしまう心配は無かった。
つまり、「感情のために自分を見失ってしまう」、ことが無くなったので、
見えない「力強い太い柱」が常に自分の中に立っている、そんな感覚だろうか?
だから、どんなときにも「恐れる心」が無くなってきたのだ。
「長い人生、何か起こって当然」、と見ているので「何かが来るかもしれない」
と言う恐れはもう存在する必要が無いのだ。
これは単純なことのようで、しかし人生を幸せにしてゆく重要なポイントであるような気がする。 
 「すべては益に変わる」と言う聖書の箇所がある。
私の好きな箇所である。
人生において無駄なことは一つもない。だから、その時には無駄に思えることでも、
精一杯、楽しんで力を尽くして取り組んでいきたいと思っている。



長いブログになりましたが、共有して頂きありがとうございます🌏


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