2020年5月14日木曜日

150円の罪👽

おはようございます☀🌏
今日は、コロナ対策外出制限緩和されてから3日目の快晴のパリから、内観ブログを
発信しております、尺八シンガーのクレアシオン桂です。
いつも読んで下さってありがとうございます😊
今日も20年前エッセイシリーズからお届けしたいと思いますが、今日は小学校低学年の頃に起きた50円の消しゴム3つを万引きしてしまった、苦〜〜い経験の告白エッセイです😅

「150円の罪」

最後まで読んで頂けると嬉しいです🤲


©︎Katsura CreaSion 


今わたしは、たくさんの切り刻まれた細かい消しゴムのクズの前に泣き崩れて、力なく座り込んでいた。
わたしはこの意味のまったくないように思える作業を、あすは休日ではなく小学校の授業があるにもかかわらず、夜通し続けた。
しかし、わずかばかりの明るさのろうそくの下でのこの空しい作業は、大変はかなく孤独なものだった。
しかしながら、仲の良い姉にさえも秘密のこの作業は、いまのわたしにとっては生きるか死ぬかの必死な作業だったのだ。

 わたしは、母と双子の姉と3人でいつものように大きなスーパーマーケットに買い物に来ていた。
東京六本木近くの人通りも多い通りの角に建つスーパーだった。姉は、母の脇でしきりに話に夢中になっていた。
母も忙しそうに買い物の品をカートの中に次々と入れていた。
そしていよいよ買い物が済んだと見え、母と姉はカートを押してレジの方へ進んでいった。
母や姉は、話に夢中で、わたしが側にいないことに気がついてはいないように見えた。

 わたしはいじわるな気持ちと、さびしい気持ちとうらやむ気持ちと、何とも言えない気持ちに駆られて、気がつくと真新しい50円ばかりの、小さな絵柄入りの「3つの消しゴム」を手に持っていた。
最初はそれを持って、急いで母たちのところへ行き、買ってほしい、とねだるつもりでいた。
しかし今ちょうど、レジでお金を払おうとしていた母は
「何をしていたの?」とちょっとばかり怒ったような、心配していたような大声を出して、遠くのわたしを呼んだ。
姉も早く〜早く〜と言ってわたしを手招きした。
わたしはその光景を見ると、すっかり手にしていた消しゴムをねだる事は、不可能のような気がしてきて、思わず、元の場所に返せばよいものを、そのまま上着のポケットの中にしまい込んでしまったのだ。
わたしは小走りに走って母たちのところへ行き、遅れたことをあやまった。
そして上着のポケットの中の「3つの消しゴム」については、とうとう何も言い出すことが出来なかった。

©︎Takako Hirano

  その晩からというもの、わたしの長い長い「罪の意識」が始まった。
単なる子供の出来心じゃないか、と笑ってもおられないものがあった。

最初の1週間は、わたしだけの大切なものを仕舞っておく「秘密の小箱」に布に包んで
大切に仕舞っておいた。
学校で思い切って使ってみようか?とも思ったが、とてもそんな勇気が出なかった。
毎日学校から帰ると何度もその小箱を開けてみては、ちゃんと見付からずに3つ仕舞ってあるか、が気になって確かめてみた。
何の罪もない消しゴムは、陽の目を浴びる事も許されず、ちゃんと3つ並んで、お行儀良く仕舞われていた。

 不思議なことに、最初は小さくわたしの心に生まれたこの「罪の意識」は、日に日に大きく膨らんでいった。
だんだんと、ある日突然、この3つの消しゴムが小箱から消えて無くなっていたらいいのに、とさえ願うようにもなった。
その時のわたしにとっては、使ってしまえばいいのに、と思うほど簡単なことではなかった。
とうとうわたしはこれらの消しゴムをこの世から排除することに決めた。そうすればわたしの心の中の「罪の意識」も同時に消え去るだろう、と。わたしは数日後に、実行に移した。

 わたしはこれ以上は不可能だ、と言うほど、跡形もなく切り刻んだ。カッターで、タマネギのみじん切りをするように。
わたしはさらにそれらを紙と布に包んで、ゴミ箱の一番奥に捨てた。そして、そのゴミを近くのゴミ捨て場まで運んでいった。

  その晩からはきっと、ぐっすり「罪の意識」もすっかり消えて熟睡でき良く眠れる、
と信じ、確信していた。
しかし不思議にも期待に反して益々「罪の意識」は大きくなっていった。

©︎Katsura CreaSion

姉は正義感の強い子供で頭が非常に良かった。
学校の成績もいつもトップで、その頃まだわたしたちは小学校4年生だったが代々木にある特別の進学塾に通っていて、(これも姉の強い希望で行くことになった)
すでに小学6年の内容の授業を受けていた。
姉はその塾でも常にトップを保っていた。

更には1ヶ月に1度振り落とし試験があって、それで落ちると、もう一度1ヶ月同じ内容のテキストを勉強しなくてはならず、従って周りの子供達とも自然と競争心が起きる。幸い私たちは、小学3年から2年間で全24回の進級テストを受け、何と!一度も落ちることもなく、4年から6年までの4科目の内容の勉強を終了出来た。

最初入学当時は100人近い塾生の子供たちがいたが、24回目の試験を受けて、見事最後まで残った人数はたったの4人。
その内女の子は私たち姉妹、それと男の子が2人の計4人だった。
わたしは何とかその塾の授業についていけたが、きっと姉がそばにいたので、刺激になって勉強、特に記憶することに、一時的に?がんばれたのかもしれない。

しかし、わたしは本当の胸の内を打ち明けると、
姉と「バトミントン」や「木登り」、「自転車乗り」、「演劇ごっこ」、世界コンクール学校ごっこ」、「公園で遊ぶ」、「指人形劇」、「にわかお化か屋敷ごっこ」、
「病院や喫茶店ごっこ」「クラシックのレコードをかけての指揮者ごっこやピアニストごっこ」などをして遊んでいる時が、一番幸せだった。
しかし、ちゃんと記憶、勉強すればご褒美に姉と一緒に遊べるのだ、と言う、
この「希望」こそが怠け者のわたしをがんばらせた唯一のエネルギー源だったのかもしれない。

  そんな理由で、心配性、完璧が好きな姉にだけは、この「消しゴムの件」については
打ち明けるわけには絶対にいかなかった。
もちろん母にも父にも友達にも、ペットの猫ちゃんにさえも語ることはなかった。 

 しかし、小さな身体に押し込められた心はますます耐えられないくらいに苦しくなっていった。
とうとう宇宙を作られた「神様」に祈り告白することにした。

©︎Katsura CreaSion


そのころ、わたしが住んでいたマンションの寝室には仏壇があった。
仏壇の中には祖母から預かっている大きな立派な観音様仏像まであった。
またどういう分けか、お数珠も5.6本、浄土真宗のお経本数冊、その中に混じって、
キリスト教の聖書まで挟まっていた。
その仏壇は、両親の寝室兼、わたしたちの寝室の角に備えてあったが、わたしはその日から毎日どんなことがあってもお経を唱え、聖書のどこかしらを読み、お数珠を持って最低30分は神に懺悔のお祈りをすることを自身に義務化した。
もしお祈りをしなければ、わたしは確実に死んだら「地獄」に行くことになるのだ、
と自分で決めた「判決」に、怯えて生きていくことになった。

 それは何と、その先10年以上も引きずる「罪の懺悔」の「わたしだけのしきたり」となり続く事になった。

 わたしはただただあの「3つの消しゴム」を盗んでしまった自分を、後悔し悔やんだ。
またあのスーパーに行って150円返金して来よう、と思ったこともあった。
しかし時間は大分経ってしまっし、そんな今更勇気はなかった。
また同じ懺悔の祈りを捧げ、怯えながら、「神様お許し下さい!」と叫ぶように涙を流しながら、眠りに入るのだった。

 それから10年後、わたしは単身フランスに渡った。
空を飛んで日本を離れれば、あの「罪」も一緒に海に投げ捨てられるかもしれない?
という甘い期待も少しはあったようだ。
もちろん目的はフルート留学で、全く違うのだが、、

 しかし、相変わらずこの「罪の意識」は、しつこいくらいにわたしの心に住み着いていた。
しかも10年の歳月のために、この「150円の罪」は、自分の魂をすっかり、はみ出るばかりに膨らんで大きく成長していたのだ。
本当に何をするにも妨げになった。
わたしはとうとう「これは出家するか」、「お払いをしてもらうか」「キリスト教に入り洗礼を受け、清めてもらう」などしか脱出の方法はないのではないか、と思った。

そしてわたしはヨーロッパに渡って1年数ヶ月くらい後に、本当に「クリスチャン」となる決意をした。

©︎Katsura CreaSion


 わたしは単純にキリスト教の「洗礼」を受けたその晩から、この10年以上も引きずってきた「罪の意識」から、いよいよ解放されるものだ、とばかり勝手にワクワク期待した。
 しかし、正直を言うと、「全く期待はずれ」の結果だったのだ。

期待はずれどころか、悲しいことには、益々「罪の意識」が強まってきて、今までも毎晩原因不明の「恐ろしい夢」を見ていたのだが、その夢がさらに恐ろしくなり、とうとう夢の次元を越えて、現実に幻覚や幻聴を伴うようになり、わたしは苦しみ続けた。わたしは眠るのが怖くなってしまったほどだ。

明かりを消すと怖くて寝られなくなった。
音楽も流しながらでないと眠られないのだ。
わたしはいよいよ「悪魔」、と言われる代物にでも取りつかれてしまったのではないか?と恐れた。
わたしは洗礼直後、毎晩のように、
 「わたしと一緒に死のう」
 と何者かに耳元で囁かれて、毎朝冷や汗をかいて飛び起きた。わたしはとうとう精神病にかかってしまったのか、と自分をますます責めた。



 わたしがどのように、この10年以上も心に住み着いた、「罪の意識」から完全に解放されたかは、今は一体いつ何処でだったのか、は残念ながらはっきりと覚えていないのだ。
しかしこれだけは言えるような気がする。
わたしはある日、次のような「人生の方程式」を発見したのだ。
それは、
 「いつまでも自分の心の中に存在する<罪の意識>を感じてしまう事柄に関しては、
それがなお今も続く<現在進行形>のものならば、それをきっぱり手放してしまうことなになのだ。」

 「またすでに<過去形>の罪となったものであれば、誰かに話したりするチャンスのある時には、まるで冗談話?の一つのように堂々と話してしまうことだ。」

 「また「罪の意識」をもう全く感じない過ぎ去った「罪」の一つであるならば、
たとえ周囲の人々の概念やモラルと異なり、非難の目や意見を聞いても、全くそれらの言葉に動揺したり、影響される必要はなく、自分自身を只管愛し、信じればよいのだ。」

 わたしは、これらの事を考えてみたら、不思議に目から鱗が落ちたように、急に元気になったような気がした。
わたしは早速、その月のヨーロッパ向けの日本人クリスチャン向けの月報誌に、
この「3つの消しゴムの罪の意識」について告白の記事を掲載してもらった。
その記事が、クリスチャンたちの間でどのように受け止められ、ジャッジされたか?
については、わたしはあまり興味がなかった。

というのも、この記事を掲載してもらってから、わたしは本当に長く住み着いたこの
「罪の意識」から、完全に解放されたからだ。
わたしはもやは後悔もしていなかったし、むしろ、これらの「人生の方程式」を発見することの出来たきっかけとなった、わたしの「心の歴史」に感謝しているほどだ。

また人生とは、何が効を来す、のか全く予想のつかないものである、ということについても、十分学ぶことが出来たようだ。
わたしはもう一つ、人を破壊する最も恐ろしい物は、只一つ
「不安と恐れ」であることが今はっきりと分かったように思う。
そして、その反対の「万物に対する愛」と「愛の祈り」は、無敵である
と言う事もわかったように思う。

2000年5月著エッセイより「150円の罪」〜子どもから見た世界観〜より

長い記事、読んで下さりありがとうございます😊

今日は2005年6月に発売した二枚目のアルバム「WHY」よりタイトル曲の
「WHY」の動画をお届けします🌏

https://youtu.be/7WndCVI9CTo




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